■はじめに
先日(1月21日)放送の『上田と女が吠える夜』で取り上げられた
南明奈さんと神田愛花さんの学校の勉強に関するやりとり。
どちらも学校の勉強は
「実社会では役に立たない」
という点では一致していながら、
最終的な受け止め方が真逆になっていた。
その面白さを、4コマ漫画としてまとめました。
■ 4コマ漫画(南明奈 × 学校勉強)




■ 4コマ漫画(神田愛花 × 学校勉強)




■ 分析:同じ前提、逆の評価
まず前提として、二人の考え方にズレはない。
- 歴史知識は日常生活でほとんど使わない
- 台形の面積も大人になって使う機会は稀
→ 学校の勉強は実社会で役に立たない
そこは二人で一致している。
しかし…
● 南さんの場合
得意でなかった → 苦痛 → 嫌い
という悪循環の中で
「意味のない時間」と受け止めてしまった。
● 神田さんの場合
得意だったので好き → 深める → 優雅
という好循環の中で
同じ「役に立たない時間」を
「優雅なひまつぶし」として捉えた。
この差が、受け止め方の違いを生んでいる。
■ 「スクール」の語源と本来の姿
そもそも「スクール(school)」の源流は、
ギリシャ語 scholē(スコレー)。
直訳すれば 「暇」「余暇」 であり、
生存や労働から解放され、
役に立たないことを遊ぶ時間
という意味合いだ。
つまり本来のスクールは
「成果主義」でも「評価装置」でもなく、
考え続ける時間そのものだった。
■ AI時代に考える“スクールの取り戻し”
最近、AIを巡るニュースが相次いでいる。
📌 参考:教育×AIに関する記事
- 日本経済新聞
👉 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC190LP0Z10C26A1000000/?msockid=0a9d666dce026c583e3f6958cfe86d4c - 読売新聞(科学面)
👉 https://www.yomiuri.co.jp/science/20260121-GYT1T00440/
いずれも
AIがテストを解く能力や知識処理能力で人間を上回る可能性に触れている内容だ。
この現実は単なる技術進歩ではなく
「学校で評価されてきたもの=記憶・計算・正答」
という価値基準が変わることを意味する。
■ では、人間は何をすべきか?
AIが計算や暗記を担えるようになれば
人間はそこから解放される可能性がある。
そうなると学校は、
✔ 点数を上げる場所
ではなく、
✔ 意味を急がない時間
✔ 考えるための余白
✔ 失敗を許容する場
に戻ることができるかもしれない。
つまり、
役に立たない時間を許されること自体が、
人間の幸福な時間になりうる
のだ。
■ まとめ
- 南さんは「役に立たない時間」を嫌った
- 神田さんは「役に立たない時間」を優雅と見た
- その差は「体験 × 好循環/悪循環の違い」
- 学校は本来「考えの余白」でありうる
- AI時代はその余白を取り戻す可能性すらある
学校の勉強は、
単なる暗記や点数競争ではない。
ひまつぶしという名の、充実した時間──
それが本来の「スクール」なのかもしれない。
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